節分の暗い歴史の話

節分とは、季節の始まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の各前日のことですが、現代では、節分といえば、立春の前日だけを指すようになりました。

現代では、節分というとかけ声をかけながら豆をまくという明るく楽しい行事になっていますが、これは長い歴史の中で変化していったもので、平安時代は決してそういったものではなかったようです。ここで、節分の歴史についてご紹介します。

平安時代は、今以上に貧富の差が激しい時代でした、そんな時代の節分では、貴族抱えの私兵らが、町で物乞いをしている浮浪者を強引に連れてきて、鬼の面をつけさせて、貴族邸の庭へと放ちます。そんな哀れな鬼たちに対して、貴族たちが大人も子供も揃って石をぶつけるのです。これは、自分の家の富や名声が逃げないよう、貧乏人らを鬼に見立てて追い祓うといった意味合いがあったそうです。

飽きるまで石をぶつけられた鬼たちは、全身血まみれで、まともに歩くこともままらないのですが、ここで犠牲になった浮浪者は、手当もされずに、再び京の街角へ放り出されたようです。

放り出された浮浪者が助けを呼んでも誰も見向きもせず、やがて浮浪者は死んでいくこともありました。当時の平安京は、浮浪者も死体も街角に溢れていたじだいです。誰もなんとも思わなかったのでしょう。節分には、こんな暗い歴史があったのです。

こうした歴史を経て、明るく豆まきが出来る現代は、平安時代に比べるとはるかに良い時代と言えるでしょうね。

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2011年1月20日 | コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリー:節分 歴史

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